じいじ、ばあばと植物園
- 2014.06.29 Sunday
- 23:17
「豊かさ」について思いつくことを交えての自己紹介から始まりました。案内人は雲原に3年前に出会って、定住し、週2回のカフェの運営や雲原を訪れる学生などの受け入れを行っている吉田美奈子さん。美奈子さんの自己紹介と雲原の生活「日々違う変化の感じられる生活」への思いを聞いたあと実際に建物などを見ながら、雲原地域の中心となっている「みんなの水車」が地域の人の手で作られたこと、その後「みんなの和楽家」ができ、その後建て増しされて、おくどさん、ドラム缶のパン釜、ピザ石釜、パン発酵機なども手作りで地域の人の手で作られて今の状態にあることなどのお話を聞きました。その後、美奈子さんの思いや地域の話を聞きながら、砂防や田圃をながめ、また参加者同士も交流しつつ、昼食会場まで歩きます。昼食後の交流会では6代目店主の荒川さんのお話を中心とした交流会。鬼そばの由来やUターンして雲原に戻ってからの活動をお話しいただき、美奈子さんも交えて地域の若者目線の話を伺いました。他の地域の定住者からの質問からの議論もあり、限られた時間でしたが、雲原の地域について「まなんで」参加者それぞれが「豊かさ」について考える「ちーたび」の企画だったと思います。また福知山に帰った際にも家族でおそば食べに行こうと思います。福知山からこんなに近いところにある素敵な地域です。実は冬に帰省した際にも雲原に寄ったのですが、その時は大雪で雪景色。普通のタイヤで来てしまったからちょっとだけ雪景色を見て帰っただけでした。年末だったのでお蕎麦屋さんもお休みで・・・・。
「リーダーシップ」や「外モノ・若者への強い期待」などを感じない、ゆるい感じの地域づくりからは独特のセンスを感じました。「休校になった学校を再開させたい」という地域としての思いは共通しており、その思いが雲原の地域の「みんな」で世代間を超えて活動できる状態になっていることが分かりました。京都市内の古い町中でも「よそ者」である私は外からの目も気になるし、完全に受け入れられるのは難しんじゃないかなとかんじたりもしています。古くからの街道沿いだからか、全く縁もゆかりもないIターン者でも受け入れられる地域の開かれた感、楽しいことをやっていこうという切羽詰まった感のない地域づくり、雲原だからってことでしょうか?
初鬼そば、独特のぼそぼそ感がすごく美味しかったです!大江山の鬼退治から来ている言葉かなと思っていたのですが、江戸時代は生そば(キソバ)と言われていたそうです。固いことを方言で「コワイ」というのですが、それを知らないほかの地方の人が「怖いそば」と思い怖い=鬼で鬼そばというようになったとか・・・キ(鬼と生)ソバという言葉をかけているということも言われていて、お蕎麦屋さんというよりお客さんがつけた名前らしい・・・
こういったところに行って思い出すのは、やっぱりケニア・マチャコスでの生活なのよね。人と人の距離が近い、若者のやっていこうという意志を見守る、手作りでなんでもつくってしまうなどなど。日本にもまだ失われていないものだと思います。